一日一因果の最近のブログ記事

筆者 岩槻のあだ名はハカセと呼ばれております。
由来は博学からではないのですが、今回は少々ハカセらしいうんちくをご紹介しましょう。
第一回目は全ての総称「くだもの」「フルーツ(Fruit)」です。

【果物(くだもの)】
「く」は木を指し、元々くだものは木の実を表す言葉でした。近い言葉に動物を表す「けだもの(けもの)」によく似た響きですが、くだものはつまり「木のもの」、けだものは「毛のもの」という事ですね。農林水産省も樹木になるもののみ、また、多年性植物の食用果実を果物と定義しています。

では、畑で蔦状の植物からなるいちごやスイカ、メロンは果たして「くだもの」なんでしょうか?
現在、農林水産省ではこれらを「果実的野菜」と分類してます。厳密にいうと、くだものではないという事ですね。逆にディップやサラダなどに多用されるアボカドは木になっているので明らかにくだものです。
ところがパイナップルやバナナは多年草の仲間ですが、果実に分類されているから定義っていうのも曖昧ですねw

ところで面白い論争があります。

近年はフルーツトマトにはじまる、とても糖度の高いトマトが市場をにぎわせていますが、トマトは果物的野菜でなく野菜に分けられていますよね。その理由は以下の通りです。

1793年当時アメリカは輸入の際、果物には関税がかからず、野菜には関税が課せられていました。
このため、トマトの輸入業者は、税金がかからないようにと「果物」と主張しました。
これに対して農務省の役人は「野菜」だと言い張りました。両者は一歩も譲らず、さらに果物派には植物学者も加わり、論争はエスカレート。
とうとう、1893年に米国最高裁判所の判決を仰ぐことになってしまいました!
判決は結局「野菜」。
裁判長はずいぶん悩んだと思われ、判決文には「トマトはキュウリやカボチャと同じように野菜畑で育てられている野菜である。また、食事中に出されるが、デザートにはならない」と書かれていました。

日本でも、明治時代に農商務省(現在の農林水産省)が基準を決めていて、木になる実で何年も繰り返して収穫できるものは果実。1回収穫すると枯れてしまうものを野菜としています。
いちごやスイカ、メロンはデザートになるので果実的野菜に分けられ、トマトはデザートにならないので野菜になってしまったのです。とても主観的な分類ですが、とても人間的なジャッジともいえますね(笑)

【フルーツ(Fruit)】
古くはラテン語Fructusに起源を持ち、果実はもちろん、結実する事、達成、成果などフルーツの成長を人生や努力の過程になぞらえて実を結ぶ事も表していました。それは現在にも引き継がれ、fruitful(効果的な)、fruition(達成)、fruitless(無駄な)など派生語も多数あります。

なので果物(くだもの)は木になるものを指しますが、フルーツはもう少し広義に植物の実を表すようです。

とは言うものの、やはり甘くて美味しくてみずみずしいものを楽しむ文化は洋の東西を問わずありますし、やはりそれを果物やフルーツと呼ぶのは変わらないでしょう。


フルーツを食べて実り多い(Fruitfulな)人生を!

桃の香りのするいちご 桃薫

いちごから桃の香りがするといったら驚きますか?ただでさえあま〜い香りのするいちごから桃のような香りがしたら食欲をそそらずにはいられませんよね?! 桃薫(トウクン)、まさに桃の香りを漂わせるいちごがなんと2011年2月にデビューしました。すでにいちご界の新人賞は桃薫に間違いないのではないでしょうか!ほんのりピンクで丸みをおびた形はかわいらしいの一言です。

桃の香りのする」と書きましたが、確かに桃の香りも漂っていますし個人的にはいちごミルクのようなミルキーで甘い香りのようにも感じられて、つい口に運ばずにはいられないインパクト!味を例えるのは難しいのですが、より香りが強く感じられて香りの強い花の香りが口の中に広がるような感じがしました。甘さはややひかえめですが、酸味が少なく上品です。ふわっとした食感で、すべてにおいていままで食べた事のないいちごなのです!

フタバフルーツ

フタバフルーツで働きはじめてはや1年と7ヶ月。なんと濃縮された時間だった事だろう。
見ず知らずの世界に飛び込んだ2010年の4月。自分が仕事としてフルーツを扱うという事も新鮮だったけれど、何より商店街という人の心の密度の濃い世界がボクにとっては本当に新しい世界でした。
もともと商店街が好きで商店街と関わって生きていきたいと考えていた矢先だったので、まさに渡りに船で、フタバフルーツで働かせてもうらおうとお願いをしたのだが、いわゆる家族経営のお店が人をいれるというのは相当な決断だったに違いないので、感謝してもしつくせません。

さて、フタバフルーツはご存知の通り、今は三代目の成瀬大輔を中心にお店をベースに、フルーツパーティーやワークショップの開催、フルーツケータリング、はては音楽レーベルの運営までやっています。一見フルーツ屋の枠を超えている風にも思えますが、実はすべてが不思議とつながっていると言うか、まさに「」という糸で結ばれているの強く感じています。そしてフタバはフルーツという優しい針でその縁の糸を紡ぐために挑戦を続けているのだと。まだ、出来上がるものの形はおぼろげですが、きっといろんなものが交ざりながらも不思議と調和のとれた一枚の画ができあがると信じています。

AKiLA

そして、その「」に欠かせない要素。フタバにとってそれは「」。お店でも常に毎日色々な曲がかかり、これもちょっとフルーツ屋らしくないかもしれませんが、でもフタバらしらを出してくれています。ロック、パンク、ハウス、ジャズ、ヒップホップ、アンビエント、サーフミュジック、時には演歌も(笑)音が水の性質に影響を与えるのは知られていますが、フルーツも人ももちろん水の賜物。心地よいもの、モチベーションを上げるものなどお店で流れる音楽は聴く人だけでなく、実は並べられているフルーツにも、そしてそれを食べてもらうお客さんにも少なからずメッセージとして届いている気がしてなりません。

さきにフタバフルーツは音楽レーベル(フタバレコーズ)をやっていると書きましたが、この気持ちを音楽に乗せて届け続けている一人のミュージシャンを応援しています。応援していると言うより、かたやフルーツ、かたや音楽という手段を使って同じ思いを届けるために協力し合っています。彼はAKiLAといいます。AKiLAは湘南出身のサーファーでもあり、常に水とともに生きてきた人です。彼の歌声はメロウで優しいのですが、こめられたメッセージはとても熱く、聞く人の心を強く揺らします。フタバのイベントには今や欠く事のできない存在です。
3.11の震災後、多くの人の悲しみと汚れゆく海を嘆く時期もありましたが、現在はそれをバネにより精力的に活動の場を着実に広げています。難波章浩バンドのギターをつとめるかたわら、小沼ようすけさんやさまざまなミュージシャンとのセッションライブも続けています。昨年7月にリリースされたアルバム「STARTING OVER AGAIN」も多くの方に聞いていただき、AKiLAの次のステップへのはずにみになっているに違いありません。まだ、お手にとってない方は是非、「OVERSTORE」というネットショップで取り扱っているのでチェックしてみて下さい。全国のサーフショップでも取り扱いまたは問合せが可能ですので、お近くの方はお立ち寄りください!

SMILES FOR ALL!なにはともあれ、フルーツは自分が思っているよりずっとずっとエキサイティングです!

美味しい!きれい!すてきな香り!こんなに体に効く!なにより楽しい!
まだまだ毎日新しい発見と驚きがあります。
そんな感動を伝え続ける事がボクの大事な仕事だと、この1年と7ヶ月を経て、強く確信するようになっています。
枠にとらわれず、常識に縛られず、新しい形を探し、でもフルーツ屋として大事な部分は変わらず、大好きな仲間達とともに。それがフタバフルーツのフルーツの伝えかたです。

愛と笑顔と感謝と勇気をフルーツで!
 
これがフタバフルーツのミッション
まだまだ旅は続きます!
 
LOVE, SMILE, ...& ROCK ON!!!
 
OVERSTORE

山裾がそのまま海に流れ込むような三陸特有の地形リアス式海岸。気仙沼は天然の良港として古くから漁業が盛んで、その景勝から観光地としても訪れる人が絶えない街です。イワシやサンマ、時にはマンボウなども水揚げされます。特にフカヒレの産地としては日本一である事はもちろん、香港や中国でも有名です。気仙沼の語源は古代エミシ語(アイヌ語の兄弟語)で「一番南の端の港」を意味するケセモイからきていると言われています。それくらい昔から人が住み、生活を営んできた土地です。

市街から少し南下すると松林が美しい浜辺も現れ、幼い頃はよく両親やじいちゃんに連れられ従兄弟と海遊びをしたものです。自慢の港では大きなお祭りがあって、焼きイカや綿菓子をほおばりながらごった返す通りをワクワクしながら歩きました。

現在は合併により町名は変わってしまいましたが、父親の家は市街から離れた本吉というのどかな場所にあり、窓を開けると潮風が薫る思い出すだに穏やかな気持ちになります。さえぎるもののない青空と降り注ぐ真夏の太陽を浴びながら、10分も歩くと南北に長く続く砂浜が美しい大谷海岸があります。大きな波に飲まれて鼻水をたらしながら泣きじゃくったのを今でもよく覚えています。おじさんに浜釣りにも連れて行ってもらいました。少し離れた岩場を歩くとヤドカリやイソギンチャク、ウミウシやフジツボなどたくさんの海の生き物を見つける事ができ、まるで図鑑の上を歩いているようでした。遊び疲れて、青々と萌えた田園風景を流しながらカエルや蛍を追いかけながらじいちゃんの家に帰ったものです。

父は兄弟が多かったのでお盆にもなると、兄弟と旦那さんや奥さんをあわせるとなんと12人。従兄弟が集まるとなんと総勢30名近くになるお祭りのような家族でした。父親達が喧々囂々飲んでいる横で僕たちは走り回ったりゲームに興じたり、広い家の中を父やおじさんおばさんの子供の頃のおもちゃなどを引っ張りだして不思議がったりしたものです。

年齢を重ね、じいちゃんやばあちゃんが他界し、親戚や従兄弟もそれぞれの家庭や仕事を持ち、昔のように集まる事もなくなって何年も経ってしまいました。最後にあの街を訪れたのは留学する直前でした。丘の上にたたずむご先祖様のお墓に報告に行く時でした。久しぶりに訪ねたじいちゃんばあちゃんの家の匂いはいまでも思い出す事ができます。いつかはまたと思っていた大好きな場所はたった一晩で泥と瓦礫だけの荒れ野になってしまいました。とても考えの及ぶような出来事ではありませんでした。何もかもがなくなるなんて。

祭りの灯りがまぶしかった気仙沼市街は1/3を津波にさらわれ跡形もなく。思い出の詰まったじいちゃんばあちゃんの家は海の彼方に連れ去られてしまいました。あの日のあの場所を思い返す事はもうできなくなってしまいました。そして、まるで人々の悲しみや痛みが押し寄せてつぶされそうな気持ちになってしまう瞬間もあります。いまだ止まない余震がこの東京に住んでいてもあの日の恐ろしさと故郷がなくなった現実を突きつけ続けます。いかんともしがたい何かが目の前に鈍重に横たわっている、そんな感覚をここのところずっと感じていました。

しかし、もう戻らないものを取り戻そうとする事は前に進む事にはつながらないと思えるようになってきました。三陸の多くの人がいま絶望の淵から光明を掴もうと必死で手を伸ばしています。僕たちに代わって自衛隊や警察、消防士、海外からの救助隊の皆さんが昼夜問わず、自らの危険を顧みず一人でも多くの生存者を探して助け続けてくれています。親戚や従兄弟の無事も伝わってきています。何より大好きだったあの場所に住んでいた人たちは当たり前の生活を取り戻すために今を必死に生きています。だから僕も逃げ水のように浮かぶ失われた場所の思い出を追いかけるより、大好きな場所に住む人たちの笑顔が戻ってくるように何かをしたいと思っています。今はまだその時でないかもしれません。もしかしたら10年も20年も先の事になるかもしれませんが、僕や両親、親戚、じいちゃんばあちゃん、ご先祖様とつながってきた気仙沼に恩返しがしたいと、強く思っています。
あの場所であたらし思い出が作れるように。そして僕たちの子供達にとってキラキラした思い出が作れる場所になるように。

友人で、ローフードや植物療法(フィトテラピー)などを広める活動をしているTREFLESを主催する福岡淳子さんからお知らせ。
当日はフタバグリーンプロジェクトというワークショップがあるので僕たちは参加する事ができませんが、"ローフード"というライフスタイルに興味のある方は是非、お問い合せください!
ちなみにフルーツもRaw(生) Foodですよー!

Viva La Fruitsにも来ていただきました!
ありがとう!

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11/11(THU) RAW FOOD 1day NIGHT PARTY

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